第十話 放課後

 生まれてはじめて、クラスの便器として、他人のオシッコとウンチを受け止めてから、はや数時間が経過していた。放課後を迎えた教室で、便器装束を身に纏い、白いタイルに正座したまま、はたった一人で、一日の出来事を思い返していた。

 はじめてしようむつに使ってもらった、あのロングホームルーム。だが、オシッコを飲みきることはできたものの、ウンチは食べきることができなかったことを思い返すと、未だに申し訳なさで胸がはちきれそうになる。

 もちろん、せっかくみんなに選んでもらったにもかかわらず、便器としての役割をまっとうできなかったのだから、そう思うのも当然だったかもしれない。だが、それ以上に、翔太と睦美の二人に、余計な仕事を増やしてしまったことのほうが、菜乃に心理的な負担を与えていた。

 食べきれずに、白い全頭マスクで包まれた顔面で受け止めることとなったウンチ。それは、排便をした睦美本人と、相方の翔太の手によって、専用のバケツへとキレイに除去されることとなった。

 当然ながら、水洗で流すということができない以上、それは致し方のないことだったのだが、自分がウンチを食べきることさえできていれば、二人にそんな汚いものを片付けさせる必要などなかったのだと思うと、合わせる顔もないように思えた。

 そして、そのふがいなさに、涙ながらに謝罪をした菜乃。だが、二人とも、そんなものは不要だと、しっかりと言い切った。なにしろ、自分たちは便器係なのだからと。そして、悪臭を放つ大便を、嫌がる素振りも見せずに取り除いてくれたのだ。

 さらには、便器ブラシと雑巾を使って、丁寧に、そして優しく、汚れた顔面を磨き上げられるに至っては、もはや感謝の念しか生まれなかった。

 その後の学校生活は、休み時間を除いて、基本的にそれまでと変わらないものだった。そのため、自分がクラスの便器である以前に、このクラスの生徒であることにはなんら変化はないのだということに、菜乃はすぐに気づくこととなった。

 これから先、クラスの便器として、ずっとその役割のみを担って過ごすことになると思っていた菜乃は、少し意外な思いをいだいた。

 それは、睦美が言った、「菜乃ちゃんは便器だから、便器以外のことは、なにもしなくていい」という言葉からも、明らかだと思っていたのだが、どうやらそれは誤解だったようだ。彼女は、準備や後片付けなどの、便器本来の役割以外のことを気にしなくてもよいということを、単に言ったのだと理解できた。

 毎時間ごとにやってくる教科担任たちも、便器装束に包まれた菜乃を見ても、なにも言わなかった。また、男女別になるため、隣のクラスの女子と合同で行われた体育の授業時も、誰もなにも言わなかった。そのことから、このクラスのみならず、学校中の人間が、菜乃が便器であることを受け入れているのだということがわかった。

 とはいえ、普通の生徒とは扱いが違うことも、もちろんあった。

 体育の授業時、ペアを組んでくれたのは睦美だった。便器係として、そして親友として、それは当然のことだったのかもしれないが、そんな彼女の手には、しっかりと掃除用手袋がはめられていたのは、菜乃が便器であり、それに触れることになる以上、当然のことだったのかもしれない。

 また、授業中の教室でも、従来と扱いがまったく同じではなかった。菜乃の席の下には、白いタイルの貼られたベニア合板、つまりはクラスのトイレが敷かれることとなり、さらには、机の天板、そして椅子の座面と背もたれにも白いタイルが貼られたものが、ご丁寧にも用意されていた。そしてそれは、そこがクラスのトイレであり、菜乃がクラスの便器であることを声高に主張しているかのようだった。

 だが、逆に言えばそれぐらいのこと。こと授業中に関しては、それ以外の点で、普通の生徒と扱いが違うということも、特になかった。

 それに対して、これまでと大きく違ったのは、休み時間だった。その時間こそが、みんなに使ってもらうために、クラスの便器としての役割をまっとうすべき、大切なときだったからだ。

 クラスメイトたちの多くが、菜乃のことを使いたがった。大人気といってもいい。だが、処理できる件数には、自ずと限界があった。

 男女ともに、オシッコのときは、まだよかった。短い休み時間でも、慣れるに従って数をこなせるようにもなった。

 だが、ウンチはそうはいかなかった。その大半を顔面で受け止めることで、さしあたりは許してもらったものの、それでも幾ばくかは口にしなければならない。というよりも、最終的には食べきれるように努めねばならないのだから、本能と戦いつつ、少しでも多く食するようにすれば、どうしても処理できる数は少なくなる。

 それでも、今日一日で、どれぐらいのオシッコとウンチを受け止めただろうか……。周囲が堪えきれなくなったためなのか、口臭対策のカプセルを飲ませてもらい、さらには、チョーカーに吊り下げ式の防臭剤までつけてもらったにもかかわらず、それでも自らの口から発せられる悪臭をまったくごまかせていないことを感じながら、菜乃はぼんやりと考えていた。

「菜乃ちゃん、お待たせ!」

 不意に、教室の扉が開き、声が聞こえた。それは、睦美のものだった。

らい、待たせたな」

 さらには、翔太の声が、それに続いた。

「あっ、睦美ちゃんに翔太くん……」

 二人の姿を認めた菜乃は、軽く顔を上げると、どこか嬉しそうに続けた。

「オシッコ? それとも、ウンチ?」

 だが、自らの役割をまっとうしようとしている親友に対して、睦美は微笑みながらも否定した。

「大丈夫だよ、睦美ちゃん」

 そして、翔太が横で頷くのを確認して、さらに続ける。

「それよりも、その様子だと、放課後は誰も菜乃ちゃんを使わなかったのかな? 少なくとも、ウンチはされていないようだけど……」

「うん……。クラスの誰も、私のこと、使ってくれなかったよ。みんな、体験入部に行っちゃってるから、近くにある他のおトイレを使ったんだと思うわ……」

 そう言って複雑な表情を見せる菜乃だったが、それがジェラシー……、つまりは他のトイレに対する軽い嫉妬心からくるものだとは、彼女本人も、他の二人も気づいていなかった。

「そっか……。あたしも、昇降口にあるトイレ使っちゃったし……」

 体操服姿の睦美は、どこか気まずそうな感じで、そう告げた。

「ああ、オレも……、体育館のを使っちまったしな……」

 少し申し訳なさそうに答えた翔太だったが、彼もまた体操服を着ていることから、どこか運動系の部活を体験していただろうことがわかる。

「ううん、いいの……。きっと、私よりも、普通の便器のほうが使いやすいと思うし……」

 だが、そんな菜乃に対して、二人は慌てたように否定した。

「そ、そんなことないよ。菜乃ちゃんは、立派な便器だよ。だって、使ったあとは、割れ目やお尻の周りも、しっかりと舐め清めてくれるんだよ? そんなの、他の便器にはないもん」

 そんな睦美の言葉に大きく頷きながら、翔太が語を継いだ。だが、どこか歯切れが悪い。

「それに……、その……、他の便器じゃなくって……、御手洗を小便器として使うと……」

 そんな彼の様子を、菜乃は少しキョトンとした表情で見つめていた。一方で、睦美にはなにを言おうとしているのかわかったのだろう。その視線が冷ややかで、鋭いものへと変わった。

「その……、気持ちよくなれるから……」

 そこまで言われて、菜乃にもようやくと理解できた。翔太は、菜乃を小便器として使用したときに、思わず射精をしてしまったことを言っているのだ。

 だが、それは彼だけのことではなかった。これまで、菜乃のことを小便器として利用した男子のクラスメイトたちは、一人の例外もなく、オシッコのあとに射精を伴っていた。

 なにしろ、実際にはフェラチオをされているのと同じなのだから、精通を迎えた年頃の男の子であれば、それも致し方なかったかもしれない。

 だが、本来であれば、それは看過できないことであったはずだ。学校の便器に向かって射精をするなど、普通ならあり得ない。少なくとも、自宅でこっそり行うべきことだったろう。しかし、それでも、さすがに全員が全員ともなってくると、結局のところは黙認状態となっていた。射精そのものが目的であれば、それは言語道断だが、オシッコをする際に、その生理現象が生じてしまったのであれば、それはしかたない……、と。

「ありがとう、睦美ちゃん……、翔太くんも……」

 だが、人間としてあり得ない仕打ちを受けているにもかかわらず、すっかり便器として扱われ、便器として褒められたことに、菜乃は心底嬉しそうだった。

「あら、みんな集まっていたのね」

 不意に、教室のドアが開かれた。そして、そんな声とともに入ってきたのは、ゆうだった。そして、近づいてくると、微笑んだ。

「体験入部はどうだったかしら?」

 だが、話しかけた相手は、睦美と翔太だった。

「はい、すっごく楽しかったです。あたし、陸上部に決めました」

「オレは、バスケ部です。先輩は、少し厳しそうだけど、でも丁寧に教えてくれるし……」

 そのことに、ひとしきり盛り上がる睦美と翔太、そして優花だったが、その一方で、菜乃は話に加われずにいた。だが、特に不満げな様子は見えない。そのことから、その場の誰一人として、他の生徒のように菜乃が体験入部に行っていないことを不思議には思っていないことがわかる。それは、彼女が生徒ではあるが、それ以上に便器であるだけに、むしろ当然のことだったのかもしれないが。

「でも、先生?」

 それでも、睦美はあることに思い当たったのだろう。優花へと尋ねた。

「菜乃ちゃんは、どうするんですか? 放課後は、今日みたいに、誰もいない教室に『置かれた』ままなんですか?」

「ああ、そのことなんだけど……」

 そこまで言って、優花は、白いタイルに正座したままの菜乃のことを見下ろした。

「さすがに、それじゃあ、もったいないと思うの。たしかに、御手洗さんはクラスの便器なんだけど、誰にも使われないまま、ただ教室に設置しておいても、しょうがないわよね……」

「じゃあ、どうするんですか、先生?」

 翔太が、そう尋ねた。だが、彼からも、優花からも睦美からも、そして菜乃自身からも、なにかの部活動に参加させるという話は出てこない。

「もっと、学校のみんなに使ってもらえるように、放課後は別の場所……、例えば校庭にある外トイレの隣とか、体育館にあるトイレの中とかに、一緒に置かせてもらえばいいんじゃないかしら」

 その言葉に、睦美は少し興奮気味に言った。

「賛成! だって、菜乃ちゃんは、こんなに優秀な便器なんだもん。私たちのクラスだけで使うなんてもったいないよ」

「ああ、オレもそれがいいと思うな。それに、いろんな人に、もっと多く使ってもらえれば、御手洗も、少しでも早くウンチを食べきれるようになるんじゃないかな?」

 ふたたび盛り上がる三人だったが、誰も菜乃本人に同意を求めようとはしない。

「でも……、そうすると、便器係として、少なくともどちらか一人は御手洗さんについててあげないといけないけど……。それは、いいかしら?」

「はい、大丈夫です。菜乃ちゃんのためだったら、部活になんか入んなくても」

「オレも、平気です。バスケより、御手洗のほうが大事だから」

「あらあら、それはダメよ。部活は全員加入が、この学校の決まりよ。だから、交代で……、つまり当番制で、放課後も御手洗さんの世話をしてあげてね。顧問の先生や、部長さんには、先生から伝えておくから」

 その言葉に、大きく頷く二人だった。

「でも、学校だけじゃ、なんかもったいないなぁ。菜乃ちゃんがどんだけ立派な便器なのか、もっとみんなに教えてあげたいよ」

「それだったら、オレに一つ考えがあるんだけど。例えば、お年寄りの施設とかに、ボランティアとして出向いたらいいんじゃないか。おじいさんやおばあさんたちも、御手洗みたいなかわいい……、いや、えっと……、孫みたいな年頃の便器を見て、そして使ったら、きっと喜んでくれると思うな」

「あら、とうくん、いいこと言うわね。それじゃ、それも話を通しておくわ」

 相も変わらず、菜乃本人は意見すら求められなかったが、便器である以上、それも当然だったのだろう。いずれにせよ、話は決したようだ。

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