四月も中旬を迎えた、とある土曜日の午後。診察室の中で、女医がひとり、軽くため息をついた。
「ふぅ……、午前以上に、忙しいわね……」
彼女の名は、佐伯美冷。内科、小児科、泌尿器科を診療科目に掲げた、佐伯医院の院長だった。
とはいえ、この医院は、そもそも祖父の代から続くもので、彼女はおよそ十年前、三十五を過ぎた頃に引き継いだに過ぎない。医師も彼女ひとりしかおらず、建物自体もあちこち老朽化の進んだ小さな古医院だが、それでもなんとかやっていけているのは、とある秘密があるからだ。
本来、佐伯医院にとって、土曜日の午後は休診だった。公に表示した案内板にも、インターネットのサイトにも、そう記載してある。だが実際には、一部特定の患者……、いや患児のための特別枠として、診療を行っていた。
美冷は、大枚をはたいて導入した電子カルテを見つめながら、次の患児を確認する。これが、今日、最後の患者だ。
「ホントは、朝倉さんがいてくれたらいいんだけど……」
その名は、ここ佐伯医院に勤めている唯一の看護師のものだったが、彼女は午前の診療を終えると、帰宅してしまっている。それは、本来の診療時間が終わったからということもあったのだが、それ以上に、医院の抱える闇の部分を知られないためでもあった。
再び、軽くため息をついた美冷は、本来は看護師が行う役割を、自ら行う。
「尾村さーん。尾村詩津子さーん。診察室へお入りください」
その呼びかけに、ふたりの人物が入ってきた。ひとりは少女、そして、もうひとりは、大きなバッグを携えた大人の女性だ。
その気配に、椅子に腰掛けたまま戸口へと目を向けた美冷は、少女の姿に、軽く驚いた表情を見せた。
「まぁ、まぁ……」
そして、思わずそう口にした彼女は、すぐに微笑みを浮かべる。
恥ずかしそうに、少しうつむき加減になっている少女は、学校の制服を着ていた。上着は、紺のダブルイートン。プラスチック製のボタンが四個ついている。そして白いブラウスは、大きな丸襟のもので、襟はジャケットの外に出すようにして着用していた。そして、下側に目を向けると、膝下十センチほどの長さをした紺の車襞スカートを身に着けている。そんな彼女の脚は、白い靴下で覆われており、ほぼ新品ともいえる白い運動靴を履いていたが、その脚はどこか開き気味になっているようにも思えた。
そしてその様子は、まさに服に着られているといってもよかった。全体がダボダボで、まったく身の丈に合っていない。それは野暮ったさの極みでもあったのだが、これから三年間の成長を見越してのことであるのは、美冷にもわかっていた。
「ほら、しっこちゃん。ごあいさつは?」
そんな、無言のまま、どこか立ち尽くした様子の少女に、隣の女性が促した。そんな彼女が少女の母親であることは、美冷も重々承知している。自分よりも四、五歳は若い母親と、その隣にいる娘を見て、いまだに独身の美冷は、「私にもこんな世界線があったのだろうか」と思わずにはいられない。
「ご、ゴメンなさい、ママ……」
だが、そんな美冷の気持ちなど知る由もない少女は、思わずといった感じで、謝罪の言葉を口にする。そしてすぐに、言葉を続けた。
「こ、こんにちは、先生……」
「はい、こんにちは。しっこちゃん」
美冷は、優しげな笑みを見せる。
それとともに、「それにしても……」という考えが、彼女の頭をよぎった。「しっこちゃん」というのは、少女の愛称だった。母親がそう呼んでいるのを、美冷もそのまま取り入れたものだが、それは「しつこ」という名前の読みが転じたものだということは理解できる。だが、その音を聞くと、どうしても別の意味までもが頭をよぎってしまうのだ。実はダブルミーニングになっているのではないか……、そうとすら思えてしまう。
しかし、そんな考えを、女医が口にすることはなかった。
「そうよねぇ……。しっこちゃんも、もう、中学生ですものねぇ……」
そして、感慨深げにつぶやいた美冷だったが、詩津子は黙ったまま。だが、そんな娘をさておき、母親がしゃしゃり出る。
「そうなんですの。是非とも、先生にもしっこちゃんの制服姿を見ていただきたくて、今日はこの格好で通院させていただいたんですのよ」
その口調は、実に誇らしげ。それは、どこかおどおどとしている詩津子本人以上のものだったが、そんな母親の様子は、いつものこと。そして、その姿に、美冷は思わず苦笑いを浮かべてしまったものの、すぐにその表情を消し去る。そのうえで、再び微笑みながら詩津子に話しかけた。
「しっこちゃんが初めて先生のところに来たのが、五年生になってすぐのことだから……。はやいわねぇ、もう、二年も経つのね。しっこちゃんも大きく……」
だが、そこで女医は不意に言い淀む。なぜならば、真に正確さを考慮するならば、それに続く言葉は「なっていないわね」というものだったからだ。
実際、少女の身体つきは、二年前に初めて診察に訪れたときから、まったくといっていいほど成長を見せていない。おそらく、身長は百四十センチに届くかどうかといったところ。同じように、身体全体のつくりも華奢で、まさに子供のものといってよい。
しかし、その中で、唯一例外といえる部分も、あるにはあった。その箇所を、思わず見つめてしまう美冷。そして、その視線に少女も気付いたのだろう。頬を朱に染めると、よりいっそう深くうつむいてしまう。
診察室を覆う沈黙。けれども、それも一瞬だけのこと。一種の社交辞令として、また、詩津子の心情を傷つけないためにも、女医は続けた。
「……なったわねぇ」
「本当ですわ、先生。はやいもので、初めて先生の『おもらし外来』を受けさせていただいてから、二年も経ってしまいましたわ……」
母親もまた、感慨深げにそう言ったが、その言葉に詩津子は、ほぼ真下を向いてしまう。
佐伯医院で毎週土曜日の午後に行われているもの。それが「おもらし外来」だった。失禁の治らない患児を診察するために設けられた特別の診療枠である。
「もう二年間も通院させていただいているのに……。まだ、しっこちゃんのおもらしはよくならなくって……」
そんな母親の言葉は、娘のことが心配で、そして不憫でならないという感情が、ひしひしとあふれ出るものだった。
「焦りは禁物ですわ。ストレスと焦り、それが一番の大敵です。それに、しっかりとお薬は注射していますので……、お母様のご希望通りになりますわ」
「はい、先生には非常に感謝しております。先生の『おもらし外来』に巡り会えなかったら、今頃どうなっていたことか……」
そして二人は、顔を見合わせると、ほくそ笑んだ。だが、もしこの場に第三者がいたとしても、二人の交わした会話の真の意味を、理解できるものはまずいなかっただろう。
「ねぇ、しっこちゃん。中学校には慣れた?」
優しげに問いかける美冷。だが、少女が返答するより先に、またしても母親が言葉を発した。
「はい、先生。書いていただいた診断書のおかげで、中学校ではなにも問題はありませんわ。いろいろと配慮もしていただけていますし。本当にありがとうございます」
そんな彼女の言葉に、「どういたしまして」と答えながら、美冷は今更ながらに思っていた。この少女には自我というものがない……、少なくとも希薄だ。そして、母親の言いなりのままなのだろう、と。それは、この二年間で、はっきりとわかっていた。
不意に、美冷は真顔になった。そして、詩津子に対して、医師としての態度で声をかけた。
「それじゃあ、しっこちゃん。まずは軽く診察をするから……、上着とブラウスを脱いでね」
だが、その言葉にまず反応したのは、またしても母親だった。
「ほら、しっこちゃん。お返事は? 先生をお待たせしちゃうわよ?」
そして再び、少女の謝罪が発せられる。そしてそれは、やはり条件反射なのだろう。
「ご、ゴメンなさい、ママ……」
そして、やはりどこか脚を開き気味にしたまま立っていた少女は、ダブルイートンの上着と、白い丸襟ブラウスを脱ぎ去る。そして、かたわらの脱衣カゴに入れると、美冷の前の回転椅子へと腰掛けた。だが、その瞬間、「グジュッ」という音がスカートの中から聞こえるとともに、詩津子の頬の赤みが、さらに鮮やかさを増したかに思えた。しかし、そのことについては、誰もなにも言わない。
その代わりに、自らの目の前で素肌をさらしている少女の上半身を見つめながら、美冷が言葉を発した。
「まぁ、かわいらしいブラね」
それは、春らしさを感じさせる、桜色のブラジャーだった。その上部には幅広のレースがほどこされており、両カップの間にはボーダー柄の小さなリボンがアクセントとしてつけられている。そのかわいらしいデザインからも、いわゆるジュニア向けなのだろうことはすぐにわかった。だが、その構造は、柔らかい樹脂ワイヤーがバストに沿うようにフィットしてサポートする形になっている。そのつくり自体は、大人向けのブラジャーとまったく遜色がないものだ。
「初めて見るものだと思うんだけど……、ママに新しく買ってもらったものかしら?」
その問いに、詩津子は黙ってうなずくのみ。だが、そんな愛娘を差し置いて、やはり母親が口を挟んだ。
「トゥリンクのエンジェルキュートですわ。それも新作ですの」
母親が口にしたのは、有名下着メーカーのジュニア向けブランドだった。そしてその口調は、どこか自慢めいて聞こえたが、それもしかたなかったのかもしれない。そこそこの値段がするものなのだから。
「もう、この子ったら……。おしもはまだまだ赤ちゃんと同じだっていうのに、お胸ばっかり大きくなってしまって……。すぐに買い換えなくてはならないんですのよ」
やれやれといった口調で、そう言う母親。だが、やはりその表情からは、愛しい娘のためならばそれぐらいの出費を厭わない、そんな気持ちがにじみ出ていた。
「たしかに、また大きくなっているみたいですね。ねぇ、しっこちゃん。サイズはどれぐらいなの?」
そんな美冷の問いに、詩津子は少しうつむき加減に、黙ったままだ。だが、そんな娘に、母親は業を煮やしたようだ。
「もう、この子ったら……。ほら、しっこちゃん。先生が聞いてらっしゃるのよ?」
それは、口調自体は優しげであったが、実際には、有無を言わせぬ圧を感じさせるものだった。そして、やはりパブロフの犬よろしく、詩津子は素早く謝罪の言葉を口にする。
「ご、ごめんなさい、ママ……」
そしてすぐに、美冷の顔を見据えると、問いに答えた。
「えっと……、え、Fの65です……」
Fカップといえば、トップとアンダーの差が22.5センチ程度となる。しかも詩津子の身体付きは、いまだに小学校五年生当時からほぼ成長していないのだ。そのため、実際の数値以上の大きさを感じさせる。まさに規格外の巨乳ともいえた。
「本当に? 先生よりも大きいじゃない」
そんな美冷の驚きの声に、再びうつむいてしまった詩津子。しかし、そんな娘を差し置き、母親がまたしても出しゃばってくる。
「でも、先生。この前、お店でちゃんと測ってもらって購入しましたから、間違いありませんわ。そのときに、この大きさが……、アンダーは数種類あって、65は一番小さいそうですが……、ともかくFカップがエンジェルキュートとしては一番大きいもので、しかも二、三種類しかないと言われました。これ以上の大きさになると、大人向けのものになるそうで……」
「そうなんですね……」
美冷は、なるほどといった感じで、そう答えた。それならば、詩津子がエンジェルキュートのブラをつけているのを見るのは今回限りだな……と思いながら。
だが、そんな女医の言葉を聞いているのかいないのか、母親は心配そうな口調で問いかけた。
「しっこちゃんは、どうしてお胸だけ、こんなに大きくなってしまうのでしょうか? 他の部分は、まだまだ子供のままですし、それこそ、赤ちゃんと同じようにおもらしだって治らないっていうのに……」
いけしゃあしゃあとよく言うよ……。母親の言葉に、そう思わない美冷ではなかった。もっとも、自分だって同じだが……、と思いながらも、そんなことはおくびにも出さない。そして、冷静な医師の表情を保ったまま答えた。
「以前からお伝えしているとおり、ホルモンバランスが乱れているからだと思いますわ。もちろん、第二次性徴を迎えたしっこちゃんの胸が大きくなること自体はまったく問題ないわけですから、そんなに深刻に考えることでもないわけで……。まぁ、ちょっと成長度合いが大きすぎるかなとも思いますけど、とにかく、いつも通りに注射をしておきますから」
そんな美冷の言葉に、母は表情を明るくする一方、娘の表情にはよりいっそうの影が差したように思われた。
その後、聴診器をあてたり、触診をしたりするなど、基本的な診察を終えた美冷は、優しく促す。
「それじゃあ、しっこちゃん。いつものようにスカートを脱いでね」
だが、やはり少女が返事をする暇もなく、母親が追い打ちをかけた。
「ほら、しっこちゃん。お返事は? 先生をお待たせしては、ダメよ?」
「ご、ゴメンなさい、ママ……」
それは、何度目のやりとりだったろうか。詩津子は慌てて立ち上がると、車襞スカートに手をかけた。そして、ファスナーを下ろし、ホックを外すと、そのまま脱いでしまう。さらには、軽くたたんで脱衣カゴに入れると、美冷の前で直立不動の格好をした。
詩津子がスカートの中で身にまとっていたものは、ブラジャーの色合いに合わせたのか、ライトピンクをしていた。だがそれは、年頃の少女が穿くようなものではなかった。
「本当は、ブラとお揃いにしたいんですが……。残念ですけど、エンジェルキュートにはおむつカバーがないものですから、どうしてもお手製になってしまうんですわ」
たしかに、母親の言うとおり。それは、おむつカバーに他ならなかった。しかも、あまりにも大きなふくらみのせいで、詩津子はきちんと脚を閉じることができず、がに股の格好を強いられていた。
もちろん、「おもらし外来」に通院しているぐらいなのだから、おむつをしているのは、致し方ないことだろう。だが、普通に考えるならば、そこにしているのは、せいぜい医療用の紙おむつになるだろうか。
ところが、彼女が身に着けているのは、まるまるとふくらんだおむつカバーだ。しかも、そのデザインも、医療用のシンプルなものではない。非常に幼稚で、本当の乳幼児が穿いているものとなんら変わりがないようなものであった。
しかし、それはいつものことだった。今更、驚くような美冷ではない。それどころか、さも同意するかのように、母親へと告げた。
「まぁ、たしかに、エンジェルキュートにおむつカバーは……、ねぇ。でも、お母様がお作りになったおむつカバーも、負けないくらいにかわいいですわ」
たしかにそれは、美冷の本心だった。だが、年頃を迎えた詩津子にとっては、辱めの言葉に他ならない。そして、そのことに気付いていない女医ではなかったが、やはり顔には出さない。
「それじゃあ、しっこちゃん。靴を脱いで、診察台に仰向けになってね」
「は、はい、先生……。ご、ゴメンなさい……」
今日初めて、母親に先んじて言葉を発した詩津子。だが、その必要もないのに謝罪の言葉が出てしまうのは、もはや直しようもないのだろう。
「先生、すぐに脱がせてしまいますから。少し、お待ちくださいね」
そして母親は、仰向けに横になり大きくM字開脚をした愛娘のおむつカバーへと手をかける。そして、腰紐を緩めると、左右に四つ施された白いスナップボタンを外し、前あてを大きく開いた。さらには、横羽の部分も左右に広げてしまえば、ぐしょぐしょに濡れそぼった布おむつが露わとなる。
そんな、かすかに湯気を立てているハート柄の布おむつは、なんとかかろうじて、詩津子のおしっこを受け止めきったようだ。だが、紙おむつに使用されている高分子吸収体のような化学物質の力を用いて漏れを防いでいるわけではない。ただ単に、布の吸水力でおしっこを吸い取っているに過ぎないのだから、どれほどの量が吸収できるかという確たる保証があるわけでもない。そればかりか、着用者にとっての不快さは、紙おむつの比ではないだろう。
「前に取り替えてから、何回、おもらしをしたのかしら? わかる?」
あたりを強烈なアンモニア臭が漂う中、美冷はそんな問いを詩津子にしたが、少女はかぶりを横に振るばかり。
「全然わからない?」
再びの問いに、今度は黙ってうなずく詩津子。
軽くため息をついた美冷だったが、今度は母親へと向き直った。
「お母様、今は何枚させていますか?」
「十二枚ですが……」
「この様子ですと、枚数を増やした方がいいかもしれませんね。ところで、入学した中学校では、おむつ替えはどうしているのですか?」
「保健室でしていただけているようで……。先生の診断書のおかげで、きちんと協力していただけていますし、それに、おむつ離れを促すために、紙おむつではなく布おむつを使っているということも、理解していただけていますわ」
普通の母親であれば、中学生にもなる娘のそんな状況を話すのは、どこか後ろ暗い気持ちになるのかもしれない。だが、この母親は、嬉々とした様子で美冷に告げた。
そんな母親は、詩津子の両足首を左手で持ち、高く上げた。そのせいで、少女の尻が微かに浮く。そして、ぐっしょり濡れているため少女の肌にピッタリと貼り付いている布おむつを剥ぎ取ると、お尻と診察台の隙間から手前にたぐり寄せる。さらには、それを手早くまとめ、プラスチックのバケツに投げ込んだ。
今や、詩津子の股間はあけすけもなくさらけ出されていた。そこは幼女のようにツルツルで、いまだ発毛の兆しすら見せていない。そんな幼げな秘部を、母親はまさにかいがいしくといった様子で、お尻拭きを使って清めていった。
だがそれも、まもなく終わってしまう。詩津子は、グレーのビニールが張られた診察台の上に、ブランドもののブラジャーと白いソックスだけをまとった姿で、仰向けに横たわっている。
「それじゃあ、いつものように、お注射ね」
だが、そんな美冷の言葉に、詩津子は声を出せない。ただ、固く目をつむってしまうばかりだ。
「まずは、いつものように、腕からするけど……」
そして、そこで言葉を切った美冷だったが、ふと思い出したかのように、少女に問いかけた。
「ところで、しっこちゃん。初潮は……、生理は来たかしら?」
だが、目をつむったまま、なにも答えない詩津子。しかし、そんな娘の非礼を、許すような母親ではなかった。
「しっこちゃん、お答えは?」
「ご、ゴメンなさい、ママ……。ま、まだです。まだ、初潮は……」
なんとかかろうじてそこまで言った詩津子だったが、そこで言葉は途切れてしまう。それは、あまりの羞恥のためだったのだろう。
「そう……」
そして、そう答えた美冷だったが、内心では当然のことだと思っていた。それと同時に、薬がきちんと効いていることがわかり、安堵もしていた。
実は、美冷が執り行っているのは、純然たるおもらしの治療などではなかった。それどころか、医師の倫理にもとる行為だった。
「それじゃあ、ちょっと、チクッとするわよ」
そう言いながら、アルコール消毒をほどこした少女のか細い腕に、注射針を突き刺した美冷は、中の薬液を注入していく。そんな薬液は、実際のところ、「成長抑制剤」もしくは「性徴抑制剤」と言われるものだった。もちろん、詩津子のおもらしを直すという目的とは、まったく関係のないものである。
そして、その効用とは、文字通り、身体の成長、特に第二次性徴を抑制するというものだ。それを、もう二年間にもわたり注射され続けているのだから、詩津子の身体付きがまったく成長していないこと、そして、生理も訪れていなければ、発毛の兆しすら見せていないのも当然のことだった。
「はい、がんばったわね。えらいわよぉ、しっこちゃん。次は、お胸の注射ね」
そして美冷は、もう一本の注射器を手にすると、大きなふくらみを見せている詩津子の下乳へと、アルコール消毒を施す。そして注射針を刺すと、同じように薬液を注入する。
今度の薬液は、いわゆる「豊胸剤」であった。そしてこれが、成長(性徴)を抑え込まれている少女の身体の中で、胸だけが図抜けて大きい理由だった。特に今回は、中学入学祝いということで、いつもよりも濃度を上げてある。おそらくは、次回の通院時には、少なくともGカップ、もしかしたらHカップになっているかもしれない。
そしてこれが、詩津子がエンジェルキュートのブラをしているのも今回が見納め、と美冷が思った理由でもあった。
「はーい、えらい、えらい。しっこちゃん、がんばってるわね。あと、一本だから、もうちょっとだけ、我慢してね」
そう言った女医は、別の注射器を手に取ると、まさに赤ちゃんと同じようにツルッとしている、詩津子の鼠蹊部をアルコール消毒する。そして、そこへ注射を施した。
それは、ある種の神経を麻痺させる効果を持つ薬液だった。そのために、詩津子はおしっこを我慢できない、というよりも、おしっこがたまったこと、そして放尿したことすら認識できない身体にされてしまっていた。
だが、先の二つの薬品と違い、実際のところは、もはや注射をする必要のないものでもあった。もうすでに、過去二年間の注射のせいで、その神経は修復不可能なほど麻痺してしまっており、今更注射をやめたところで、回復は見込めない状態だったのだから。
つまりは、詩津子のおもらしは、もはや治る見込みがまったくないのである。
その証拠……、というわけでもないのだろうが、大きくM字開脚をしていた詩津子の割れ目から、不意におしっこがほとばしり出た。注射をしながら、その放物線を見つめていた美冷だったが、おそらく少女は、おしっこが出るという前兆も、それどころか、今おしっこをしているということすら、認識できていないはずだ。そのことは、その表情を見れば明らかだ。
とどのつまり、詩津子のおもらしも、異常なまでの乳房の発達も、そして、それに反する形で身体そのものの成長がまったく進まないのも、すべては意図的に引き起こされたことであった。
たしかに、通院開始前のおもらしこそ、母親がなんとかして起こさせていたものなのだろう。だがその後に、美冷の「おもらし外来」を受診さえしていなければ、ここまでの状況にはなっていないのだ。
それではなぜ、美冷が、こんな医師の道を踏み外すようなことを行っているのか。
すべては詩津子の母の望みであった。
病気でもないのに、自分のことを病人に仕立て上げて病院へ通う人のことを、「作為症」、「虚偽性障害」もしくは「ミュンヒハウゼン症候群」という。他者から注目され同情を受けたいがために、自ら病気であると言い張るのだ。
それの類型として、「代理ミュンヒハウゼン症候群」と言われる症状もある。これは、自らが病人になるのではなく、他者を病人に仕立て上げるというものであるが、その場合に対象となるのは、我が子である場合が多い。
本来はなんの問題もない子供を病人に仕立て上げ、それを懸命に看護する親、子供の不幸に立ち向かうかわいそうな親を演じ、周囲の同情を得ることによって、保護者としての歪んだ愛情を満たすのである。
今回の詩津子の母親を例にすれば、いつまで経ってもおもらしの治らない我が子の世話を懸命にする自分、年齢の割に成長しない身体を持った我が子に心を痛める自分、そして、胸だけが異常に大きくなってしまった我が子を不憫に思い高価なブランド品のブラを買い与える自分……、すべては、そんな悲劇のヒロインとしての自分に満足感を抱いているのだ。
もちろん、美冷としては、そんな母親の気持ちなど知ったことではない。すべては、保険外診療費、つまりは金さえもらえればそれでよかった。
しかも、この「おもらし外来」に通っているのは、詩津子親子だけではない。少なくない患児(男の子も女の子もいる)が保護者(父親の場合も母親の場合もある)に連れられて通院している。
もちろん、こんなことが公になれば、患児を除いたすべての人間にとって身の破滅を意味する。各人の口が堅くなるのも当然のことであったが、それでも紹介という形で、今でも新規の患児がやってくるのだ。
「はーい、終わりよ。しっこちゃん、えらい、えらい」
そういった美冷は、さも優しげに、詩津子の頭を撫でた。そして、すでにおむつバッグから、動物柄の新たなおむつカバーと何枚ものふんわりとした布おむつ、そしてベビーパウダーを取り出していた母親に向かって、こうたずねた。
「ところで、しっこちゃんが入学したのって、ひょっとして西中ですか?」
「そうですが……?」
「そこの養護教諭って、私の知り合いなんです」
「そうなんですね……」
そう言った母親だったが、いまいち、美冷の言いたいことがわかっていないようだ。
「新入生におむつのはずれない女の子がいるんだけど、布おむつの交換が大変だって、彼女が言ってたんですよ。まぁ、しっこちゃんのことなんでしょうけど……。だから、クラスでおむつ交換当番を決めて、今度からは、生徒に交代でやってもらおうか考えてるそうですよ」
その言葉を聞いて、詩津子の顔がみるみる青ざめていくのがわかった。すでに、学校では「おむらしつこ」という名前をもじってなのか、それとも単に文字通りの事実としてなのか、「おもらしっこちゃん」と呼ばれているのだ。そのうえ、クラスメイトにおむつまで交換されるなんて、とても耐えられることではない。
「それと、今はお母様が、布おむつとおむつカバーを自作されていらっしゃるんですよね? それも、情操教育の一環として、家庭科の授業で、生徒たちに作ってもらおうかとも考えてるそうですわ」
そんな美冷の話に、母親はパッと明るい表情をした。
「まぁ、まぁ、それは本当にありがたいお話だわ。こんなにもみんなに大事にしてもらえるなんて、しっこちゃんは、なんて幸せな子なのかしら。ねぇ、しっこちゃん?」
「は、はい、ママ……」
母親に逆らうことなどできないであろう少女は、屈辱に歪んだ表情のまま、そうつぶやくしかなかった。
もはや、おもらしの治る見込みのまったくない詩津子。いわば、母親の「お人形さん」でしかないこのいたいけな少女が、この状況から逃れることはもはや不可能だ。
そのことに思い至った美冷は、詩津子のことを、不覚にも、哀れに感じてしまった。自らの非道な行いを、すっかり棚に上げて……。
(了)
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