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第七話 洗い方

「最後に、手についた汚れですが……」

 そう言って純枝は、再び自らの右手を前に掲げた。先ほどとは異なり、その指先には茶色い粘状の物がべっとりとこびりついている。それがなんなのかは、考えるまでもないことだった。

「一つとしては、何かで拭き取る方法があります。物資が不足してしまうと、拭うための物も限られてしまいますが、例えば木の葉っぱなどが考えられます」

 あまりの話の内容に、もはや、誰も何も言えない。男子たちですら、揶揄することができずにいた。

「ですが、冬などで、木の葉が手に入らない場合も考えられます。今回は訓練ですので、そんな最悪の場合を想定して、割れ目とお尻を清めた後の手は、このようにして汚れを落としてください……」

 そう言うと純枝は、おもむろにバケツの後ろにしゃがみ込んだ。そして、誰もが予想だにできなかったことを始める。

 汚れのこびりついた右手と、もう一方の手を、いきなりバケツの中に突っ込んだのだ。そう、尿の中に固形便が浮かんでいる、ブリキのバケツの中にである。そして、普通に手を洗うときと同じように、両手を丹念にこすり合わせた。

 さすがに女子生徒たちの間から、小さな悲鳴のような声が上がる。一方、男子生徒たちは一様に絶句してしまう。

 美香は、これは現実ではない、夢を見ているのだと思った。いや、そう思い込みたかった。まだ思春期を迎えたばかりの少女が、教室の中で、自分の排泄した糞尿の詰まったバケツに手を突っ込んでいるのだ。

 だが、それは紛れもない事実だった。

「爪の間に、お尻から拭い取った、う、ウンチ……が、入り込んでいる場合が、あります。ですから、その部分は、特に念に入りに洗ってください……」

 どれほど洗っていただろうか……。もちろん、これが「洗っている」といえるのであるならばだが、純枝はバケツの中に手首までしっかりとつけ、懇切丁寧に手洗いを続けた。

 だがやがて、純枝はその行為を終えると、再び立ち上がる。そして、今度は両手を、同級生たちによく見えるように、自らの前に高く掲げた。それは、一見するだけでは水に濡れているだけのようであり、蛍光灯の光を浴びて輝いていた。

「このように、バケツの中の、オシッコで……よく洗ってあげれば、手にこびりついた、う、ウンチは、キレイに、なくなってしまいます……」

 確かに、一見すればそうであろう。だが、純枝の両手で光り輝いている液体は、水などではないのだ。糞尿の混じったバケツの中でいくら手をこすり合わせたところで、キレイになどなるはずがない。美香はそう叫びだしそうになった。

 だが、女子たちが顔を真っ赤にしつつも、真剣な眼差しで純枝の行為を見つめていることに再び気づき、戦慄が走るのを感じた。それは、真剣にお手本を見ている姿に他ならなかったからだ。

「皆さんは、手をバケツの中の、う、ウンチの混ざった……、お、オシッコで、洗うぐらいなら……、最初から割れ目やお尻を清めなくても……、同じ、と思うかもしれません……」

 誰もが感じるであろう当然の疑問に、純枝は答え始めた。

「ですが、割れ目やお尻のあたりは、手に比べて、非常にデリケートにできています。ですから、そこに、お、オシッコや……、う、ウンチの……、汚れを残したままでいると、かぶれの原因になる恐れがあります。もし、そうなってしまっても、災害時ですから、お医者さまにかかったり、お薬を手に入れたりすることができないかもしれません。その一方で、手は、日常の作業を行うために、非常に肌も厚く丈夫にできています。少しぐらい、オシッコや……、う、ウンチに触れても、かぶれてしまうということはないそうです。ですから、今回の訓練では、この方法を行うことになっています……」

 もはや、純枝の説明が本当なのかどうなのか、誰も判断がつかない。彼女自身もわかってはいないだろう。

 だが、いずれにせよ、防災訓練の期間中、女子生徒たちは自らの出した汚物の中に手を突っ込み、その中で両手を洗わなければならないということは確かなのだ。

「この濡れた手ですが、時間があれば、十五分ほど日光に当てれば完全に殺菌できるそうです。そうでないときは、自然に乾かしてください。その場合は、乾くまでは体の他の部分にはなるべく触らないようにしてください。その後も、できるだけ口に入れないように気をつけてください……」

 一瞬の間。だが、まだ終わりではなかった。

 再び純枝が話を続ける。

「バケツですが、掃除の時に使っているのでわかると思いますが、全部で四個あります。その四つを使いますが、中身を見て、自分が、お、オシッコや、う、う、ウンチ、をしても、まだ、大丈夫だと思う場合は、他の人が前に使っていたとしても、そのバケツにしてください。自分がしてしまうと溢れてしまうと思う場合は、別の物を使ってください。四つすべてが、もういっぱいの時には、その休み時間では、それ以上、オシッコや、う、ウンチをすることは、できません。これは、実際の災害時には、いつでもオシッコや、……ウンチができるとは、限らないことも想定しています。その場合は、次の休み時間まで我慢してください」

 教室は、もはや純枝の独壇場だ。美香ですら口を挟めない。

「本当の災害の時には、バケツの中身は、どこか外に捨てることになると思いますが、今回の訓練では、肥料の代わりとして、学校の花壇に与えることになっています。これは、休み時間の終わりに、私と女子の園芸委員で行います」

 さらに一呼吸し、さらに説明を続ける。

「最後になりますが、男の子たちにお願いがあります。バケツはいつも、教室の前、教壇の上に置いておくこととなります。ですから、私たち女の子がこの訓練をするときには、そばでよく見てあげていてください。そして、何か間違っていたり、何か気になったりすることがあれば、そのことを、その女の子に教えてあげてください。また、女の子は、男の子から教えてもらったら、素直に聞いて、正しい訓練ができるように、努力をしましょう」

 再び沈黙が訪れた。本当にすべてが終わったのだろう。純枝の顔は、今までで一番穏やかな表情を見せていた。

「……これで、学級委員からの連絡を終わります」

 教卓の上で、下半身丸出しのまま深々と一礼すると、純枝はようやく教壇の上へと降り立った。

 そして、すっかり乾いてはいるものの、自らの汚物に突っ込んで洗い上げた手で、かわいらしいジュニアショーツを手に取ると、数十分ぶりにそれを穿く。そして、スカートも身につけると、垢抜けないながらも、模範的な通常の生徒の姿へと立ち返った。

 だが、これで本当に終わり……、ではなかった。純枝には、まだやるべきことが残されていたからだ。

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